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P.I.チャイコフスキー


ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)

生い立ち:

 1840年5月7日、ロシアのカムスコ=ヴォトキンスクで生まれる。 断続的にピアノを習ったものの、法律学校を経て法務省に就職。しかし、再び音楽を志し、 ペテルブルグの音楽院で学ぶ。卒業後はモスクワ音楽院で教師を務めながら作曲に打ち込んだが 裕福なメック夫人から年金を受けたことから、教師を辞めて作曲に専念。
 西欧的で甘美なメロディーの名曲を多く生み出した。だが、精神的に弱く、私生活では結婚に失敗。 「交響曲第6番」の初演後まもなく53歳で急死し、その死に謎を残した。

〜代表的な作品〜

ピアノ協奏曲第1番(1874〜1875年)
バレエ音楽《白鳥の湖》(1875〜1876年)
バレエ音楽《眠れる森の美女》(1888〜1889年)
バレエ音楽《クルミ割り人形》(1891〜1892年)
交響曲第6番《悲愴》(1893年)
その紳士なオジサンは人知れず泣いていた

 チャイコフスキーの遺作といえば「交響曲第6番《悲愴》」である。絶望的な雰囲気に満ちたこの曲にピッタリの題名なんだが、 《悲愴》を《ホモの悲劇》というイカした……もとい、イカれた名前で呼ぶ人もいたという。なぜなら、チャイコフスキーは同性愛者であった。 まあ、ベートーヴェンやラヴェルにもその気はあったし、べつに珍しいことでもないのだが、それが死因と関係ありそうなのはこの人だけだろう。 チャイコフスキーは、ちょっと紳士な感じのオジサンである。ハンサムでスマートで、洗練された物腰、よく手入れされたヒゲや若白髪なんかを見ると、 大人の貫禄さえ感じる。ところが実際は、自分に自信がなく、すぐ泣くオジサンだったらしい。音楽に感動しては泣き、精神的に疲れては自室で泣くといった具合である。 しかも、ひどい頭痛持ちで、人見知りが激しく、オーケストラを前にすると指揮ができなくなるほど神経過敏だった。指揮の最中に頭がもげてしまうような錯覚に襲われ、 いつも左手で頭を支えていたというのである。そんな自分の弱さをごまかすためか、お酒を好み、トランプに夢中になり、旅行ばかりしていたそうだ。
 しかし、脳ミソはかなり健全で、6歳のころには口シア語の他にフランス語とドイツ語を理解するほどだった。彼が本格的に音楽を学ぶのは、 法律学校を出て法務省に務めていた21歳のときだ。その遅いスタートでもって口シアを代表する大作曲家になってしまうのだから、 やはりチャイコフスキーは天才なのだろう。


コレラか?ホモか?天才の死をめぐる謎

 さて、すでに述べたように、チャイコフスキ―は"おホモだち"が好きであったが、女嫌いだったわけではない。 幼いころに女家庭教師に恋したり、イタリアの歌手と婚約したこともある。でも、それらは早くに亡くした母への憧れと同じく、 普通の恋愛とはほど遠かった。なかでも奇妙なのは、メック夫人との関係である。ドビュッシーをピアニストに雇ったこともあるメック夫人は、 音楽好きの裕福な未亡人だった。チャイコフスキーは彼女と文通し、やがて多額の年金をもらうようになる。だが、 14年間で1300通もの手紙を交わしたにもかかわらず、2人は決して会わなかった。演奏会で偶然会っても、絶対に会話をしなかったのだ。 最終的には夫人が年金を打ち切り、文通をやめたが、これには彼もかなり傷ついたという。
 変な話だが、チャイコフスキーは結婚もしている。相手は教え子のアント二―ナ・ミリューコヴァで、無理ヤリ迫られた末の結婚だった。これに絶望したチャイコフスキーは肺炎になって死のうと考え、 冷たい川に入ったこともあるが、結局、彼女とは3ヵ月で破綻。もっとも、この結婚は同性愛を隠すためで、チャイコフスキーの本命はやっぱり おホモたちであったといわれている。しかし、その嗜好が彼の死因と結びつけられたのは、わりと最近のことだ。
 チャイコフスキーは《悲愴》の初演から数日後の1893年11日6日に急死したが、長い間、その死因は生水を飲んでコレラになったためといわれてきた。 でも、コレラは伝染病である。なのに病床のチャイコフスキーは隔離されず、葬儀の際に、遺体に触れた人も感染していない。 つまり、死因は別にあったことになる。そこで浮上してきたのが、毒物による自殺説だった。それによると、ある貴族が、 自分の甥と関係をもったチャイコフスキーを皇帝に告発しようとして、それを知った法律学校の同級生たちが告発を事前にストップ。 ホモと知れたらシべリア流刑は確実である。そこで彼らは、告発される前に名誉の自殺をするようチャイコフスキーを説得し、毒を渡したというのだ。 でも、この説を否定する声も多く、死因はいまだに謎である。
 ちなみに、ある精神科医によれば、内因性うつ病患者に《悲愴》を聴かせると、 気持ちが落ち込み、へタすると自殺したくなるそうだ。それが本当なら、ホモ説よりも衝撃的な仮説が考えられるんだが……。


今月の教訓
天才の規則的な生活が作曲のかぎ。
ときには神経質な性格も長所になる。

 スタートが遅かったわりには、チャイコフスキーの作品群は充実している。 午前10時から昼までと、夕方5時から夜8時まで毎日コツコツ作曲していた生活がそれを可能にしたのだろう。

Written by... :Cl中毒者
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