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「帝国の死亡証明書」〜ウェストファリア条約〜




<二限目>


さて、では続きを

  新教派諸国の内、もっとも早く行動を起こしたのはデンマーク王国でした。 当時、デンマーク王国はスウェーデン王国と並ぶ北欧の大国で、ユトランド半島に加え、 現在のノルウェーおよびスウェーデンの一部を領有していました。時のデンマーク王クリスチャン4世は、 国内での絶対王政の確保に努めつつ、北ドイツへの領土拡大を狙っていました。こ のとき、帝国における新教徒側の敗北に危機感を募らせるイギリス・オランダからの軍資金援助を取り付けると、 約6万の大軍を率いてユトランド半島を南下し、帝国領内に侵攻しました。

 

三十年戦争の第二幕、デンマーク戦争の始まりでした。



  ところが、クリスチャン4世の目論見は、あっけなく失敗に終わります。
  1626年、後に白山の戦いと呼ばれる戦いにおいてデンマーク軍は、「甲冑を纏った修道士」の異名を持つ皇帝軍の名将ティリー、 更に、後にスウェーデン王を討つことになる魔将ヴァレンシュタインらの活躍の前にあっけなく敗退し、 攻勢に出る機会を失ってしまいます。その後、皇帝軍にユトランド半島深くまで侵攻され、 1629年デンマークのドイツに関する不干渉を条件に和約を結ぶに至りデンマーク戦争は終わりを告げます。

  また、この戦いで大いに活躍したヴァレンシュタインは、皇帝権力の増大を嫌う諸侯の不満から罷免の憂き目に遭い、 しばらくの間、歴史の表舞台から去ることになります。

  ここで新教徒側の主軸は、デンマークからスウェーデンへと移ることになります。 当時のスウェーデン王グスタフ=アドルフは17歳(1611年)で即位し、デンマーク・ロシア・ポーランドと戦い、 バルト海一円に大勢力を築き上げた、「北方の獅子王」と呼ばれる名君でした。

  1630年6月、グスタフはフランス(<これ重要です)から軍資金援助を取り付け、 約1万3000の軍を率いてポンメルンに上陸しました。このとき、スウェーデン軍は誰もが予想だにしない快進撃を見せました。

  三十年戦争が長引いた原因の一つに、兵の質の悪さというのがしばしば言われます。 当時の軍隊の主力は金によって雇われる傭兵であり、各国は戦時にのみ傭兵を雇います。 なぜなら、軍隊の維持というのは意外と金がかかるからです。よって、軍における統率というものがまったくといって良いほどなく、 農村における略奪・暴行などは至極当たり前の話であったのです。

  ところが、グスタフ率いるスウェーデン軍は軍規厳しく、 一般人に対する略奪行為なども固く禁じられていました。統率のとれた軍というものは、今も昔も強いものです。

  グスタフは、ティリー率いる皇帝軍を、ブライテンフェルトの会戦・レッヒの会戦で破りました。 この間、グスタフはブランデンブルグ選帝侯やザクセン選帝侯といった有力な新教諸侯との同盟を結びます。 そうして、グスタフのスウェーデン軍は1632年ミュンヘンを占領するに至ります。

  この一連の流れの中で危機感を募らせた旧教派は、一度罷免した名将ヴァレンシュタインを戦列に復帰させます。

  そしてこの年、この戦争においてもっとも意味のある戦い、リュッツェンの戦いが起こります。

  兵力は両軍ともに約二万、ほぼ互角の兵力でした。この戦いは、ヴァレンシュタインの善戦空しく、 終始スウェーデン優勢に進みます。しかし、ここで思わぬイレギュラーがスウェーデン軍を襲います。

グスタフが戦死するのです。

グスタフが死んだ理由、それは、彼がド近眼であったため、誤って隊列から外れ、敵軍の前に一人立ってしまったからだそうです。


(゜д゜)マジッスカ!?


っと、思わず突っ込みを入れてしまいそうですが、まあ、独断と偏見によってこの説を採用しただけなので特に気にしないでください。

  かっこいい理由をつけるなら、味方の裏切り説などもありますが、まあネタですから。しかし、グスタフが近眼であったのは本当のようです。 彼は、当時のヨーロッパにおいてもっとも英明な君主であったようで、十数ヶ国語を流暢に操り、更に数ヶ国語を読むことができたといわれています。 きっと幼いころから勉学に励んできたのでしょう。この勤勉さが彼の命を絶つことになろうとは、運命とは皮肉なものです。

当時、グスタフ=アドルフ38歳。名君の死には早すぎる最期でした。

  しかし、彼が死んだことによって、この後スウェーデンが没落したかといえばそんなことはありませんでした。

  それでも、もし(歴史にもしはありませんが)グスタフが生きていたならば、三十年戦争の結末は、 いや、その後の世界のありようが大きく変わっていたかもしれません。

・・・話が逸れました。
グスタフが死にもかかわらず、スウェーデン軍の優位は揺るがず、グスタフに代わり軍の指揮を採った傭兵隊長ベルンハルトの活躍によって、 この戦いはスウェーデンの勝利に終わります。しかし、グスタフを失ったスウェーデン軍は生彩を欠き、 その後、三十年戦争は泥沼化して行くことになります。


(゜д゜)y-┛~~~フゥ〜


疲れたから今日はここまで。
「って、まだ半分も逝ってないじゃん」という其処のあなた、甘いです。三十年戦争って言うのは後半まったく見所がないんです。 ということで、こいつの事だからもう書かない(書けない)かも知れない(汗。あぁ、ウェストファリア条約への道は遠い。 やっぱり、独断と偏見とにわか知識で語る三十年戦争(前半のみ)にするんだったかな。まあ、続きはひょっこりと。


いま、「イラネーヨ」って言われた気がした 。



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